
memory (部分)
本美濃紙(美濃竹紙工房)/墨/天然顔料/顔料/天然染料/大﨑膠

memory (部分)
石州楮紙(石州和紙久保田)/墨/天然顔料/顔料/天然染料/大﨑膠
福田彩乃
見たもの・触れたもの・聞いたもの・それから
「耕」の「絵画素材実習」として、私は茨城県久慈郡大子町の楮農家さんと、島根県浜田市三隅町の石州和紙の工房を訪問した。大子町には、初めて訪れた二〇二三年の二月まで遡ると、これまで夏と冬を合わせて十数回訪問した。石州和紙の工房へは今回初めて訪問する。この二つの土地での体験について記す。
——大子町・夏
夏は楮の間引きと芽掻きのお手伝いに伺った。初夏におこなう間引きでは、同時に小さな鎌で土ごと掻き取るように草刈りもする。日陰の無い炎天下での作業だった。芽掻きは楮の背丈が伸びてきた頃から初秋までおこなう。夏には楮がよく伸びていて目の前が幹、枝、葉で埋め尽くされる。あれ程切ったのにこんなにも一面緑色になるのかと驚く。雨の降った後によく伸びるようだ。脇芽というよりは最早脇枝になったそれを鋏で慎重に切る。大子町を後にしてからしばらくは、瞼の裏に一面の枝が焼き付いていた。
——大子町・冬
十二月になると楮の葉はすっかり落ちていて、畑は全く違う色になる。冬はこの楮の蒸し剥ぎのお手伝いに伺った。大きな釜で楮を蒸し、柔らかくなった皮を黙々と手で剥ぐのだが、この竈の火がごうごうと燃えているさまは大きな火をあまり見たことがない私にとっては強烈に記憶に残るものだった。蒸した楮の湯気からはさつまいものような甘い香りがした。"芋みたいだべ。"
少しだけ表皮取りの体験をさせていただいたり、検品の様子を見せていただいたりした。白皮の光沢がとても美しかった。夏も冬も親方ご夫婦の作業はどれも素早く丁寧で、背筋が伸びる思いだった。
何度かこの蒸し剥ぎに通い、大子町の人々と関わる中で気がついたことがある。蒸し剥ぎをはじめとする様々な作業に従事する方々は、あくまでも「生活」のためにこれをやっているということだ。従事者にとっては黙々とした作業も大きな火も甘い香りも、すべて「日常」なのだ。「本美濃紙」を辿る先にはこの山間部の過疎が進む町での営みがある。和紙というものと生活の結びつきの一端を見た。
——石州・冬
十二月に蒸し剥ぎのお手伝いに伺った。石州和紙は三年程好んで使用しており、ようやく訪問が叶ったことを素直に嬉しく思った。思いのほか海が近く、この時期は曇りの多い土地らしい。ここでの皮剥きは、蒸し上がった楮の小口を掛矢で叩いたり(小口を開く)、足を使ったり、黒皮を落とすように剥いたり、先が筒状になるようにしたり(筒剥ぎ)と、大子町ではやらないことの連続だった。地域によってこうも違うのかと驚く。ひと束剥き終われば足元が黒皮まみれになる。この黒皮の厚みや色が大子那須楮とはまた違い、薄くて赤味があり綺麗だと思った。気候風土や文化の違いで生まれる紙が変わるさまを垣間見た。
素材の生まれる現場を訪れて体感したことは、私の創作は木火土金水の要素で成り立っているということだ。木は楮や竈の薪、火は竈の火や膠を炊く火、土は地面や顔料、金は顔料、水は雨、湯気、川の水、地下水、絵を描くときの水・・・「素材」に興味を持っていると、絵のことを全く考えずに「素材研究」しているのだと思われがちだが、素材とはやはり私の創作とは切っても切れない大切なものなのだ。
大崎膠試用所感
一晩ふやかした膠を鍋に入れ直火でコトコト炊く。膠と水の比率はその時々のやりたい表現によって感覚で決めているので明記はしない。
とろみがあり、溶解直後はゲル化もしやすい傾向があるが、直火での加熱を継続することで緩和され、透明度も増す。鍋肌にアクがつく。
一日一遍炊いておけば冬場は一週間以上もつ。
自然から生まれるものを数値で語るのは難しい。私はどんなときでもその素材に無理強いをせず、特性を見極め、それに寄り添い、柔軟に動きたいと思う。