絵画素材実習006_青苧(苧麻)の焼畑/青苧復活夢見隊(山形県大江町)
日時:2025年5月11日
参加者:大山龍顕、金子朋樹、福田彩乃、藤田飛鳥、星和真
山形県大江町で復活した「青苧(苧麻のこと、「からむし」ともいう)」の焼畑に参加した。
畑に生い茂る雑草を抜く。まばらに生えた青苧もあるが、生育を揃えるために一度すべて焼き払ってしまう。また、害虫の駆除や焼いた灰が肥料にもなる。草を抜いた畑に稲藁を敷き詰める。風が強い日で、畑すべてを一度に焼くのは危険と判断し、半面ずつ行うことになった。焼畑の実施にあたっては消防署と役場に届けを出し、近隣へも周知する。また、畑の周囲に水を入れたバケツを配置して安全には十分に配慮している。
風下側から火をつける。風上からだと一気に燃えてしまうため、風下から風上にむけてじっくり時間をかけて焼いていく。稲藁からは思いのほか勢いよく炎があがり、辺り一面に熱気と煙が立ちこめる。風下では目を開けることもできないほどになる。燃焼の不完全な場所は稲藁を返し、空気を送りながら焼きむらがないように気を配る。
焼畑は二十四節気のひとつ、小満(5月21日ごろから6月4日ごろまで)に行うという。大江町近隣の冷涼な気候は苧麻の栽培に適しており、品質の良い苧麻は明治時代まで最上川を通じて関西まで運ばれ、奈良晒しなどに使われた。時代と共に途絶えていた苧麻の栽培を村上弘子さんたち青苧復活夢見隊が復活させた。この焼畑は今年で18年目になる。現在では、原料供給地としての視点から青苧の糸だけではなく、食に利用する取り組みを拡げている。この日の昼食は青苧の葉を練り込んだ「真麻(まお)うどん」をいただいた。
全体がまんべんなく焼けると追肥として鶏糞と油粕を撒く。畑の周囲に杭を打ち、防風ネットで囲み、内側にマイカ線を張り巡らせる。風による転倒や、青苧同士が擦れ合い傷つくのを予防する。収穫時期の7月までに畑は密植された青苧で埋まることになる。
近代の日本画の絵画的な発展において「麻紙」は非常に大きな役割を担ってきた。麻(大麻、苧麻)の繊維は長くて丈夫だからなどということが言われているが、紙にするには長すぎるし丈夫すぎるため、裁断して短くしてから使う。しかもボソボソとした紙にしかならない。そのため古代においては非常に手間のかかる下処理が行われた。また近代に再興された絵画用麻紙においては平滑な紙にするため楮が5割配合され、現代においては7割ほどの楮が配合され、古代の麻紙とは全く違うものとなっている。それでも日本画が「麻紙」という呼称に意識的にか無意識的にかこだわってきた理由がなぜかと思いを巡らせると、とてもおもしろい。
現在、大江町の青苧を原料とした麻紙(青苧のみ、あるいは国産楮と配合したもの)を月山和紙の三浦さんが漉かれている。