絵画素材実習004_大子那須楮の皮剥き
日時:12月上旬〜3月中旬
参加者:大山龍顕、福田彩乃、藤田飛鳥
こうぞ蒸しの日、大子那須楮生産農家である齋藤邦彦さんの朝は早い。
まだ日も昇らない早朝5時過ぎ、大子町の作業場を訪れる。真っ暗な作業場脇の竈(かまど)からはすでに轟々と炎が上がり、ときおりパチパチと火の粉がはぜる。1釜目が蒸し上がり、皮剥きが始まるのが7時。それに合わせて火力を調整する齋藤さんが薪をくべていた。1釜目は水から沸かすため、4時半ごろから火を入れる。おはようございますと声をかけると、やや無愛想に「早いねぇ」と返ってくる。冬が暖かくなってきているとはいえ、ここは氷瀑で有名な袋田の滝がある茨城県北部の山間部。竈や甑(こしき)のまわりに汲んであるバケツの水に厚い氷が張る日も多い。昔は作業場の横を流れる小川も凍ったそうだ。無言で竈の焚き口から熾火を火鉢に移し、つぶやくように「寒いだろ」と茨城弁で言い残し、親方は家へ戻って行った。
6時半ごろから地元の方たちが集まってくる。火鉢のまわりや竈のまわりで自然と会話が始まる。現在、齋藤さんご夫婦の他に9名の方が皮剥き作業をしており、そのうち3名は楮の栽培もされている。齋藤さんのところで皮剥きする楮は、近隣20軒ほどの農家さんのものと、原料問屋である竹内商店さんが抱える10軒ほどの農家さんのもの。規模の大小はあれど思いのほか栽培農家さんがいらっしゃる印象だが、いつまで現状を維持できるだろうか。昨年も数軒辞められている。
7時、合図と共にワイヤーに繋がったステンレス製の甑が電動ウインチで上げられる。蒸気と湯気が一気に噴き出す。平釜の上に敷かれた竹簀子の上に立てられた大きな束が7つ、その上に曲がった枝をまとめた小さな束が2つ姿を現す。甑のまわりに汲んであるバケツの水を蒸し上がった楮にかける。水をかけると皮が縮み剥きやすくなるというが、単純に水をかけないと熱すぎて運べないからだと思う。楮の束を倒して竈の端に寄せる人、それを竈と作業場の間に架けたハシゴの上を滑らすように押して移動させる人、作業場の定位置に運んで向きを揃えて置く人、それぞれ2人1組、慣れた手つきで作業は進む。一気に立ちこめる湯気で作業場の視界は遮られる。楮が冷めないようにそれぞれの束に麻袋を5〜6枚(最近は麻袋も手に入りにくくなり毛布も使う)掛ける。蒸した楮は冷めると剥きにくくなるというが、実は冷めても水分が飛ばなければ剥くことができる。何かを掛けて覆うのは湿気を保つ意味が大きいのではないか。
皮剥きは皆さん決まった席がある。基本的に1人1束、我々のような手伝いやボランティアがいるときは対面に座らせてもらう。束からひと掴みほど枝を抜き出し足元に置く。枝には必ず向きがある。先と元。これを常に揃えておく必要がある。皮剥きも、次の工程の表皮取りも必ず元側からおこなう。束を結えてある葛のツルは元側に寄せてある。1本ずつ手に取り、利き手で元側の木口の樹皮を捻るように剥き始める。皮に親指を立てるようにして裂け始めのきっかけが1ヶ所になるように気をつける。ツルッと皮が剥けはじめ、白くてスベスベした美しい芯が現れる。枝を持った手を芯部分に持ち替え、手を外側に開くように皮から芯を剥がす。この時に皮側の手を手前や下に引いて皮を裏返してはいけない。これは那須楮の剥き方であり、石州など裏返しながら鬼皮(いちばん外側の薄い皮)を落とすように剥く他の産地とは大きく異なる。楮の産地や和紙の産地それぞれにその場所の方法があり、それがその地で作られてきた紙の違いにつながることが実感できる。
現在、大子那須楮の多くは越前奉書や本美濃紙に利用されている。どちらもチリひとつなく地合いの美しさが求められる紙である。剥いた皮は「黒皮」と呼ばれ、鬼皮と甘皮(緑色の部分)を取り除く「表皮取り」をして「白皮」となり出荷される。その白皮加工の効率化と精度の向上のために洗練されてきた皮の剥き方が那須楮の剥き方である。これは剥いた皮に細かな裂け目ができないため、とても手早く一気に鬼皮と甘皮をめくり取ることができる。蒸すために切り揃える楮の長さが土佐や石州などに比べて短いことも、一連の作業をする上で理にかなっている。一方で、鬼皮がしっかりと残っているため、甘皮を残すような加工はやりにくい。この剥き方と表皮取り(高知では「へぐり」という)の関係を意識的に使い分けているのは、高知の若山楮の中嶋久美子さんのグループだけではないかと思う。側から見ると何気なく、いとも容易く次から次へと皮を剥いているように見えるが、実はとても奥が深い。
1本剥くと芯(こうずっから、楮柄)を置き、次の枝を取る。剥いた皮は手に持ったまま同じ作業を繰り返す。手に持った皮が数本以上になると、皮の元を綺麗に揃えて床に置く。女将さんの一連の所作は特に美しく正確だ。傍らに置かれた皮の束や楮柄の整った様子からは、常に先の作業のことが考えられていることが見て取れ参考になる。全て剥き終えると一掴みほどの束にし、細めの皮で元側付近を縛る。剥いた皮を丁寧に揃えて置くことでこの作業も捗り、仕上がりも美しい。皮を束ね終えると秤のそばへ運び、つづいて楮柄も束ねる。昔はどこの家庭もこの楮柄を焚き付けに利用していたので引取り手があったが、今はほとんどが産廃として処理されている。1把ごとに束ねた楮の黒皮は、ただちにに4貫目(15kg)ごとにまとめて束ねられる。このまま乾燥させることなく表皮取りする方に届けるが、近年はその人手が足りず、一部は乾燥させている。気候も温暖になり、カビ発生の懸念が年々増している。
1釜目の7時から1時間半ごとに7釜。最後の7釜目が剥き終わり、作業場の片付けまで終わると17時。火が落とされ熾火が燻る竈。竹簀子がめくられた平釜にはおまじないとして入れられた大根が浮く。空焚きしそうになると大根が焦げて臭いでわかるというが、大根のもつ消化酵素と楮のアクだらけになった釜の湯との関係について論じてみても良いのではないかと思う。山間の作業場、シーズン最盛期の真冬の頃はすでに辺りは薄暗く、シーズン終わりの3月中頃になるとまだ明るさが残る。今日も終わった、今年も終わったと、時間の経過をしみじみと感じる。来年はいないかも?といった笑い話をどんな顔で聞いていていいのかわからない。
植物を紙の原料に加工する最初の工程である皮剥き作業。春に株から芽を出しすくすくと育った楮は、冬になる前に葉を落とし、水を上げなくなって休眠する。これを刈り取り、蒸して樹皮を剥ぎやすくする。温暖な東南アジアの楮は1年に2度収穫可能なため、枝がみずみずしいまま蒸さずに「生剥ぎ」をする。このような、植物が水を上げている状態か上げていない状態か、蒸すか蒸さないかの違いが紙を漉くための原料処理に大きく影響していると考えられる。蒸したあとの釜の湯は楮から流れ落ちたアクで褐色となりドロっとしている。タイ楮は国産楮に比べて樹脂分が多いと言われているが、これは植物自体の特性だけではなく、加工作業の工程の違いに依るところもあるはずだ。樹脂が多くなるタイ楮は紙漉きのための煮熟作業で必然的に強いアルカリを使うことになり、紙の保存性に影響を及ぼす。
この場所に特別なことは何もない。紙漉きもない。あるのは連綿と続く日常の繰り返し。楮は食い扶持である農作物の一つに過ぎない。それでもこの地で栽培され、和紙原料として加工された「楮の白皮」が、この地以外で必要とされ、日本の文化の下支えをしている。その重要性がこの地ではあまり認知されていない。 大子那須楮保存会が発足して10年近く経つ。紙漉き職人と直接交流することも可能になり、齋藤さんの人柄もあってか、多くの人が手伝いに来るようにもなった。保存会ができなければ続けていられなかったかもしれない。でも10年遅かったなと齋藤さんは語る。
齋藤さんは今年80歳になった。
効率を重視し、大規模化する現代の産業のあり方の中で失われつつあるもの。日本画と呼ばれる絵画表現に必要な素材が抱えるさまざまな問題は、今の日本が抱える問題そのものといえる。