絵画素材実習002_楮の皮剥き/月山和紙
日時:2024年12月1日(日)
参加者:伊藤みさき、大山龍顕、金子朋樹、藤田飛鳥、藤本桃子、星和真
紙漉き原料の「楮(コウゾ)皮剥き作業」のため、山形県の奥深い山間地、西川町大井沢を訪れた。この日の雪は例年と比べてまだ少なかったが、それでも大井沢はすでに銀世界。霞が山々にたなびく光景は、実に美しく感じられた。
西川町は「湯殿山」「月山」「羽黒山」という出羽三山信仰の地で、大井沢地域もかつては出羽三山へ向かう白衣の行者によって埋め尽くされたという。この地には今なお信仰の名残である寺社や遺構が遺る。
この大井沢の地で漉かれる「月山和紙」は、江戸時代より同じ西川町岩根沢という地で漉かれてきた「西山和紙」を源流とする。最盛期には221戸が冬の仕事として漉いていたというが、洋紙の普及と同時に紙漉農家は激減し、そのような中で職人 飯野博雄氏が「月山和紙」と名を変えて、1995年まで独り守り続けていたという。現在は大井沢の地で職人 三浦一之さんが受け継いでいる。
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西川町産の楮を主原料とする紙は、三浦さんの手によって丁寧に漉かれる"生成り"かつ実に素朴な紙だ。
紙漉きの最初の工程である「楮皮剥き作業」は蒸し上がった楮の皮をひたすら剥いでいくものだが、皮剥きを終えた楮は乾燥後に表面の黒皮をはぎ、煮熟、ちり取り、打解(叩解)という手間のかかる工程を経て、ようやく漉きの作業となる。当日は9時に1回目の皮剥きを行い、後は2時間おきに計4釜、蒸し上がった楮をひたすら剥いだ。蒸している間は談笑したり写生したり、各々の時を過ごした。「西山和紙」職人、飯野博雄氏が作業を行う貴重なビデオテープも視聴した。昼食は山形の冬の郷土料理「ひっぱりうどん」を食す。山形は蕎麦が最高に美味いが、冬のタンパク源として納豆と鯖を混ぜ合わせ、最後に醤油をかけるこのうどんがまた美味いのだ。
近くに遺る「日本七大霊場」の『旧大日寺 大井沢湯殿山神社』も参拝した。『旧大日寺 大井沢湯殿山神社』から見える「六十里越街道」は参詣する時に利用された街道で、出羽三山へ向かう白衣の行者によって溢れていたという。多くの参拝者によって宿場町が発達し、現在も多くの宿坊が存在する。街道沿いには様々な史跡が在り、その中の一つ大井沢湯殿山神社の広大な境内は、当時の参詣の規模を物語るかのようだ。
作業の帰路には、メンバー大山龍顕が東北芸術工科大学在任中に調査に入っていた『旧日月寺 岩根沢三山神社』にも。此処は大山、藤田、金子の3人で訪れた。同町岩根沢は、前述の通り西山和紙職人 飯野博雄氏が月山和紙と名称変更した後も独り紙を漉いてきた地。月山、出羽、湯殿山から名付けられたこの岩根沢三山神社もまた参詣の拠点として賑わっていたという。東西約70mにも及ぶ国重要文化財指定の本堂は圧巻だった。
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西川町の水沢横岫トンネル付近にある「八聖山金山神社」は空海開山の言い伝えで、中世以降は出羽三山神社の道中の祈願所だったという。江戸時代以降は"鉱山の神社"として祀られている。
"紙と神"についての文献は多く目にするが、紙漉きと信仰の交接を体感として得られたのは、実際に現地に赴き、地域の風土と息吹に触れたことによる産物なのだろう。